久しぶりにリケーブルネタです。
当ブログではすでにリケーブルについては詳しく原理を説明しており、基本的に一般的なポータブルオーディオ環境ではリケーブルで音が変わることはほとんどないということを科学的に解説しております。以下にその内容をまとめてあります。
また創造の館さんが非常に分かりやすく有益な解説動画を説明していますので、併せてご参照ください。
TRN MT1 MAXのケーブルは低品質?問題
読者という方からメールで測定値を示され、TRN MT1 MAXの標準ケーブルがかなり低品質で、リケーブルで音が変わるとご連絡をいただきました。私がMT1 MAXを手に入れたことをTwitterで報告してたので、それもあってこういうメールが来たのかもしれません。ちなみに実際にTRN MT1 MAXのケーブルが低品質であったことは後述のように確認されています。
添付されていたのは以下のような画像でしたが、これは調べたところ、相互フォロワーのすのー(@snow_el)さんが公開されていた記事にあったもののようです。
たしかにかなり変化しているように見えました。本当だったらかなり面白いと思います。この時点ではとてもワクワクしてましたね。
そこでとりあえず私も手持ちのMT1 MAXを使って仮測定を行い、その結果が以下になりました。
ちなみに「TRN MT1 MAXのケーブルは質が悪いらしいですが、本当ですか?」というメールが来て、なんかグラフを見せられたので、「シングルDDでそんな変わる?」と思って測定してみたけど、
— audio-sound @ hatena (@audio_sound_Twr) April 25, 2023
明らかに質が良いHidizs MS5のストックケーブルに付け替えて測定しても測定誤差以上と思える差なんてなかった https://t.co/Izt7qE70XQ pic.twitter.com/6yeT1c4DFY
このグラフを見ると、10kHz以下でほとんど有意な変化(人の聴覚で変化がわかるのはだいたい2dB以上などと言われています)が確認できないので、基本的には音は変化しているとは言えないと結論付けられます。すのーさんのグラフでは10kHz以下でも2dB相当の差が出ていますから、すのーさんのグラフに基づけばたしかに変化がありそうだと言えそうですが、私の測定グラフではそうではありません。ちょっと残念な結果です。
その後すのーさんが連絡をくれたので、この件について詳しく確認できました。
私のほうも測定が進んだので、制動特性などのほかのデータを考慮できるようになり、仮測定より厳密な測定値を計測しました。
そのやりとりを要約すると以下になります。
まあ、今Hidizs MS5のストックケーブルを使ってご指定の110で測定しました。
— audio-sound @ hatena (@audio_sound_Twr) April 25, 2023
厳密に同じものは出てこなかったんですけど、15Khzで3dB程度という同じ変化を確認するには
その変化量が1.6Ω~4.5Ωの間にあるので、おそらく2Ω以上は程度必要なようです。(右側参照縦軸1dB単位) pic.twitter.com/NsuHsUKJpu
逆側筐体でSpaceCloud に変えて試しましたが再現しますね。疑似抵抗で試されていたのでMT1Maxにケーブルを繋いでプラグ側の直流抵抗値を測定しました。22Ωから離れているのは謎ですが下記になりました。
— すのー🐈ゆるふわオーディオ™️ (@snow_el) April 26, 2023
MT1 Max付属 57.6Ω
KZ ZEX付属 56.9Ω
SpaceCloud 55.8Ω
確かに1.8Ωほど差がありました。
まさしく!
— audio-sound @ hatena (@audio_sound_Twr) April 26, 2023
それ、すでに検証済みの私の測定値とおおむね一緒ですよ!いやあうれしいです!😉
これがストックケーブルを含めた検証結果ですが、MS5のケーブルに1.6Ω加えたグラフとほぼ一致しています。
— audio-sound @ hatena (@audio_sound_Twr) April 26, 2023
Amariの出力インピーダンスは0Ωですが、-0.3Ωに設定されています。MS5のケーブル抵抗値は0.3Ω、往復で0.6Ωになります。するとMT1 MAXのストックケーブルの全体抵抗値は理論上、1.9Ωに相当近い pic.twitter.com/5K3ORInpXl
レビュアーが協力して同じ問題に別方向からアプローチするというのはなかなかないので、こういうやりとりは個人的にとても楽しいですね。ちなみに最後のコメントは正確には2.2Ω相当と言うべきところを興奮して1.9Ωと言ってしまっていますね。この記事を書いていて気づきました。
とりあえず結論としてはTRN MT1 MAXのケーブルの抵抗値については確定ができ、TRN MT1 MAXのケーブルと一般的なケーブルの間の違いの正しい測定結果はおおむね以下のようになることが判明しました。
わかりやすいように縦軸1dB単位で2kHzから10kHz近辺を抜き出すと、以下のようになり、聴感上有意な差が出るとは言えないということがわかると思います。私だったら、こんな聞き取れるかわからない、かすかな変化のためにわざわざリケーブルするより、イヤーピース変えただけでもこれより変化するだろうと結論付けますね。
むしろ同じ設定にもかかわらず、すのーさんの測定値と私の測定値はだいぶ異なった形をしているので、リケーブルによる変化よりおそらく個体差のほうが大きいくらいです。イヤホンを測定したことがある人は知ってますが、普通は左右のイヤホン別々で測定すれば、大抵これよりはるかに大きな音質差になっています。
たとえば7Hz Legatoのユニット間の差は以下のような感じになります。左右の平均値で比較してますが、それだけでも今回のリケーブルの変化よりはるかに大きいのがすぐわかると思います。
実際すのーさんも件の記事で以下のようにコメントされております。
聴感上はどうかと言うと、ぱっとしか聴いていませんが上記のデータほどは悪い印象はありません、でも当然ながら解像度などはあまり良くありません。まぁかまぼこで聴きやすい音というイメージがあります。
雑記:新型?高域減衰 1000円台SW付き1DD TRN MT1 Maxの付属ケーブルについて - ゆるふわオーディオ日記の2023/4/27 10:00時点のコメント
そのように感じるのは「まあそりゃ当然だよね」という話で、測定値データがおそらく間違っているということが今回確認できました。TRN MT1 MAXのケーブル抵抗値については測定値の一致を確認しましたし、おそらく、すのーさんのほうから修正された測定値がいずれ公表されるのではないかと思います。すのーさんが公表されている現状の測定値も正確でないことをお互いで確認しました。
まあでもすのーさんのほうは11kHz付近でも3dB落ちてるんで、もうちょっと抵抗高い可能性がありますね🤔
— audio-sound @ hatena (@audio_sound_Twr) April 25, 2023
ああ、でもすのーさんのグラフのほう中域見るとずれてるんで、正規化してませんね。
実際の差はもう少し小さくなる可能性がありますね。 pic.twitter.com/45MCFn0RrH
完全にレビュアーの実践的な話ですが、単一の測定環境に頼っているとときどき過失で今回のように間違ってしまうことがあります。私はレビューを続けているうちにそれに何度か苦しめられ、それで複数の独立した測定環境を用いてチェックを厳しくするようになりました。これは本当に難しい問題です。とくにリケーブルの変化量はほぼ測定誤差と変わらない程度なので、イヤホンの大雑把な周波数特性の計測と異なり、もっと微細で、測定の限界を攻めていくことになります(ほとんど聴感上意味のない、コンマ1dB単位以下の本来測定器の想定していないミクロの測定値の違いを見極めるということです)。そういうわけで、レビュアーはいつも測定の困難と向き合っています。そのため、一般にレビュアーは測定値に基づいてほかの人が正しく誤りを指摘してくれることを喜びます。閑話休題。
TRN MT1 MAXのケーブルは高域を減衰させる魔法のケーブル?
ちなみにこれまでの記事を読んで、TRN MT1 MAXのストックケーブルはあらゆるイヤホンに高域の減衰をもたらす周波数特性を持っているケーブルだなどと考えてしまった人がいたとしたら、それも間違っています。すのーさんはさすがにそんな初心者クラスの誤解をしていないと考えていますが、すのーさんのブログの書き方は誤解を生みそうです。
そこで今度は同じケーブルを使って、Tangzu Wan'er SGでケーブル違いの測定値を比べたデータを以下に示します。
もうほとんどぴったり一致しているのがわかると思います。
高域を拡大してみると、わずかに測定時の微細なピーク合わせに失敗していて、測定誤差が出ています。測定誤差の知識がないと、むしろこの結果を見て、「TRN MT1 MAXのケーブルはWan'er SGの高域を改善する!」なんて言い出す人もいるかもしれませんね。しかし、これは測定誤差です。
ちなみになんで測定誤差と断言できるかは、Wan'er SGの制動特性を測定済みでそれによってこの程度のケーブルの抵抗の違いではWan'er SGの周波数特性に変化が出ないことをすでに確認しているからです。
TRN MT1 MAXは制動特性が特殊なので事情が異なりますが、Wan'er SGのような普通のシングルダイナミックドライバーイヤホンでケーブルの音の違いはまず知覚出来ません。というか一般的な測定自体不可能に近いです。センチメートル単位の定規でミリメートルのものを測ろうとするのと同じようなことになります。オーディオ製品の中でいつもケーブルに周波数特性のデータがないのは、その変化がそれほど微細すぎて意味のあるデータを取るのが不可能に近いからです。そもそもアナログオーディオの世界で、とくにポータブルオーディオではケーブルは抵抗値以外ほとんどデータとして意味がありません。
というより、ケーブルは音質を変化させるためにあるのではなく、最適な音質を提供するためにあり、ケーブルで音が変わらないほうが普通なのです。環境に合わせて音が変わらないように使えるよう様々なケーブルがあり、そのように設計されているんですから。ケーブルの製品が多いのは、音質を変化させるために種類が多いのではなく、様々な状況で要求されるスペックが異なるため、種類が多いのです。1mと10mでは、あるいはマルチBAイヤホンとシングルダイナミックドライバーイヤホンでは、メーカーが本来意図した音を再生するのに求められるケーブルの特性が変わっているために、用途に合わせて使えるよう複数の種類があるのです。それに、まともなオーディオメーカーはケーブルを変えたくらいで音質がはっきりわかるほど簡単に変化するようなイヤホンを普通は作りません。簡単にあれこれ音が変わってしまっては、音楽を聴く道具としては使い物にならないからです。
つまり、シングルダイナミックドライバーイヤホンを音の出口にしているオーディオチェーンでは、ケーブルは大抵どれを選んでも音質が変わることはほぼないので、ケーブルの自由度が高いということになります。
周波数特性だけで何もかもを判断していると、逆に周波数特性によって惑わされることがあります。レビュアーは基本となる周波数特性を確認するだけでなく、関連するさまざまな測定値を確認し、複眼的にアプローチする必要があります。そしてオーディオにとって大切なのは、何かを主張をするときは、その根拠となる科学的で確実な信頼性の高いデータを示す必要があるということでしょう。
実際に変化があるのか耳で体験してみましょう
さて、このコラムの最後です。では、理論上聴感差が感じられないはずのMT1 MAXのケーブルと一般的なケーブルの差は実際には常識と異なり、聞き分けられる水準なのでしょうか?
今回実際にその音を録音し、いくつか抵抗の設定を変えた録音も用意しました。以下のページで聞き分け問題に挑戦することができます。この記事公表時点でまだアンケートに回答できますので、ぜひ楽しんで参加してみてください!とくに「耳に自信がある」という方の参加をお待ちしております。
解答編
結果は以下の記事になります。