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【コラム】オーディオレビューに求められることは何か。オーディオ批評に善悪を持ち込む愚について

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あなたが聴いてるそれ、良い物?悪い物?

あなたが聴いてるそれ、良いイヤホン?悪いイヤホン?それ、気になりますか?

 

 

オーディオレビューはどうして役に立たないと言われ続けているのか

 世にオーディオレビューは数多くあります。その媒体は雑誌、ネットメディア、ブログをはじめ最近はyoutubeにも広がりを見せています。しかし、一方でそうしたオーディオレビューが役に立たないという意見も決して少なくありません。どうしてオーディオレビューは役に立たないと言われるのでしょうか。

 

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製品を良く見せるためのポエム

 まずいわゆるオーディオポエムの問題があります。たとえばオーディオ雑誌の大部分はオーディオ製品の宣伝を目的としており、製品を多かれ少なかれよく見せる必要があります。したがって、製品の特長を特筆大書し、とくに音質面では肯定的に書かなくてはいけません。そのため音の解像度が高い、今まで聞こえなかった音が聞こえる、ニュアンスが素晴らしいなどといった常套文句を使い、その製品をなるべく脚色しようとします。

 

いい加減な基準と聴感万能主義

 オーディオは非常にデータ化するのが難しく、データとして示しても、どう聞こえるかは個人の聴感と嗜好、そして比較は短期記憶に依存します。いろいろな要因があり、音質上のデータがよい製品がユーザーに支持されたり、よく売れるとは限りません。finalが音響学講座でメーカーの製品開発において、「『理屈よりも聴感のみで決めればよい』という雰囲気」が生まれていて問題だという所見を表明していますが、これは反面として、イヤホンを買う側、イヤホンをレビューする側がより濃厚に「『理屈よりも聴感のみで決めればよい』という雰囲気」を持っているせいでもあるでしょう。

 しかし、聴感には個人差があり、実際のところ非常に人を惑わせやすいということはあまり考えられていません。finalの音響学講座を読めば、実際のイヤホンのチューニング作業がいかに聴感の錯覚との戦いであるかは垣間見えると思います。

 たとえオーディオをデータ化するのが難しいとしても、さまざまな手法を駆使してオーディオレビューは製品の長所と短所を適切にリスナーに提示する努力をする必要があります。

 

「わかったフリ」をしたがる人々

 オーディオで目立つのはこの種の人々です。彼らは物の善し悪しがわかると豪語しており、常日頃からどちらが優れている、劣っているという類いのことを飽きもせず語っています。そうした言動に惑わされて、そういう人物を見識があると思い込み、その人の推奨製品を買う、そんな光景がオーディオ界隈では後を絶ちません。私自身は実際のところ、音の善し悪しなんてものをわりと簡単にわかるとは思ったことはないですし、こういう人の言動を追っても音が悪いとか良いとかの基準がどこにあるのか、ただ単に好みではないのかと思うことがしばしばです。

 音のプロが実証的なデータを示して言うならまだわかりますが、素人がたいして聴き込んだわけでもない聴感の印象だけで音の善し悪しを判断できると豪語している(私も含めて)自信過剰家の巣窟、それがオーディオの世界です。私自身の経験から言うと、音の聞こえ方には様々な要因があり、音の善し悪しというのを簡単に断言できるのかというのが常に心の支えになっていました。そんなときに草薙龍瞬さんの本を読み、むしろ音の善し悪しなんてことを判断し論じるのが馬鹿らしいことであると気づきました。なぜなら、他の人がどんな音を良いと思ったり、好んだりするかについては最終的にはわからないので、善悪を云々しても意味がないのです。

 

目覚めた者は、人間が語る見解、意見、知識や決まりごとに囚われない。

彼は、善し悪しを判断しない。判断によって心を汚さない。心を汚す原因も作らない。

ブッダは、正しい道(方法)のみを説く。かくして「わたしが」という自意識から自由でいる。

――スッタニパータ〈心の清浄について〉の節

草薙龍瞬『反応しない練習』より

 

  こうした善し悪しを声高に叫ぶことがいかに卑俗で馬鹿らしいことか、草薙龍瞬さんが解説しておられます。

 

 なぜ人は、自分のこと、他人のこと、さらには人生の目的や、生きることの意味まで、あれこれと「判断」したがるのでしょうか。

 一つは、判断すること自体が「気持ちよい」ことが理由でしょう。善し悪しや、正しい・間違っているといった判断は、それだけで「わかった気」になれます。結論が出せた気がして、安心できるのです。

 もう一つの理由は、「判断することで認められた気分になれる」ことでしょう。たとえば誰かとケンカした後に、「あの人はここが間違っている」「彼があんなことをしたから、こうなったのだ」と振り返ることがありますね。友だちに電話して事情を説明し、「それはおかしいよね、あなたは間違ってない」と、第三者の”お墨付き”を得ようとすることもあります。あれは「やっぱりわたしが正しいのだ」と思いたいがための行動です。「承認欲を満たせる判断」を求めているのです。

 ということは、判断する心には、わかった気になれる気持ちよさと、自分は正しいと思える(承認欲を満たせる)快楽があるのです。

 だからみんな、判断することに夢中です。

草薙龍瞬『反応しない練習』より

 

 オーディオ関連のツイッターで、年がら年中あそこの代理店は悪い、これを買え!なんてやってるのを見ると思いますが、要はそういったものは「俺が正しいのだ!」と認めて欲しい承認欲求の強い人の戯言に過ぎません。繰り返し同じことしか言わないのは、そうした自分の意見を世間に広め、自分が認められたいという承認欲求の裏返しなのです。そういう人に限って、自分の聴感を他より上等だと思っていて、たいした根拠も示さず良し悪しを決めつけ、その意見を臆面もなく平気で垂れ流したりします。

 本当に聴くべき言葉を持っている人は聴くべき言葉を静かに丁寧に語り、わかってくれる人だけに届けようとするでしょう。最終的に私にとって素晴らしいオーディオとは、良いとか悪いとかではなく、新たな発見のある「興味深いもの」で、そうした製品はそもそも万人向きでないことを理解していますから、私は自分の好きな製品を世に押し広めようとはあまり思いません。ただ、わかってくれる人にはしっかり届けたい、だからこのブログを書いているのです。

 

私のブログが目指すレビューとは

 私のブログが目指すレビューは、オーディオ製品を自分勝手に善し悪しをつけてこき下ろしたり、褒め称えたりすることではありません。そうではなく、オーディオ製品がありのまま理解でき、それぞれの個性が適切に理解され、私のブログに来れば、まるで店頭で試聴してるかのようにその製品のイメージがわかるというレビューを目指しています。オーディオのレビューで善し悪しなど語る必要はありません。なぜなら、本当のレビューはレビューを読んだ側にその製品のイメージを適切に伝えることができ、善し悪しは読んだ側が自然と判断できるようなレビューだからです。

 もちろん私自身の判断はレビューに含みますが、私はなるべく自分を透明にして、オーディオ製品そのものを提示したいと常日頃から模索しています。まだまだ努力が至らないと思いますが、私自身も勉強を深め、今後とも内容を充実させていきたいと思っています*1

 

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*1:なおこの文章をなぜか某氏が自分に対する印象操作だという風説を自ら振りまいています。この文章には某氏に対する言及は一切なく、むしろ某氏のほうがなぜか私を名指しし、印象操作していることは客観的に明らかであることは言うまでもありません。この文章はどう見ても某氏に関係がある文章でないことは事実関係の上からも内容の上からも明らかです。この文章はそもそも、聴感と周波数特性について、そしてそれをどう客観化することができるかということについて、また聴感がいかに視覚情報の影響に左右されるかという聴覚心理学上の実験データなどについて、とある場所で行われた議論(某氏は全く関わってません)に基づいて見解をまとめてみた独り言みたいなものです。

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